院長ブログ

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フランス旅行(3)

パリ2日目の続きです。

ル・パン・コティディアン
オペラ座を出て歩いてマルシェ・サントノレの一角にある「ル・パン・コティディアン」というカフェ(?)で昼食にしました。ガイドブックによると「日々の糧」という意味だそうです。天然酵母のパンとBIO(オーガニック)の料理を出すそうで、どんな店なのかちょっと期待してました。

 
こんな店です。パリのどこにでもある普通のカフェのようですが、ちょうど昼食時でほとんどが近くのサラリーマンのようでした。テーブルにはワインの瓶がありさすがフランス、昼からワインを飲むというのは本当でした。

 

 
本日のメニューです。値段は10~11ユーロ。それぞれ3つを頼んでみました。

 


本日のスープ(キャロット)とタルティーヌと野菜サラダ  
とにかくスープの量が多い。容器はまるでどんぶりだった。伊藤さんは途中でギブアップ。温かいスープで美味しかったとのこと。

 


本日のキッシュ(野菜ミックス)
半分にカットした野菜のキッシュ。かなりのボリュームだったけど、牧田さんは完食。うまかったそうな。ちょっと食べてみたかったです。

 


ナスとチーズとトマトのタルティーヌ
ボクが注文。チーズがうまかった。

 


フランスではパンはどこでも無料で食べ放題です。ここの天然酵母使用のパンも勿論無料。噛みごたえがあっておいしかったですが、いかんせん腹一杯で少ししか食べれず残念。5名で飲み物も頼んで締めて77.4ユーロ。昼食を軽く済ませようと思うなら食事もヘルシーだし値段も手ごろでお勧めの店です。チェーン店のようでパリ市内に他にも何件かあるようです。

 

アンジェリーナ
昼食の後は今度はスイーツを食べに噂のアンジェリーナに行く。ここはパリでも老舗のカフェで、
モンブラン発祥の店だそうで、牧田さんが行きたがっていたのでチュイルリー公園そばの店まで勇んで出かける。

これが噂のモンブランです。とにかくデカイ。上にはどうだマイッタかというくらいにたっぷりのマロンクリームがそれこそモンブランの山のようにあって、中まで食べ進んでいくと今度もまたたっぷりの生クリームが入っていました。下の台はマカロンのようなものでしたが、とにかく巨大なクリームの塊でした。ボクはやっと完食できましたが、松本さん、伊藤さんはギブアップ。牧田さんは勿論完食で満足そうでした。コーヒーは一人づつ小さなポットに入っていてなかなかしゃれていました。モンブランが甘いので飲み物はなるべく苦めのコーヒーがいいです。モンブラン1個で6.9ユーロ。日本人には半分の大きさでも十分だったけどなあ。でもフランス人にはこれくらいの大きさでないと食った気がしないんだろうなあ。
このあと腹ごなしのために次の目的地のルイ・ヴィトンまではシャンゼリゼを歩くことにしました。9月のシャンゼリゼはまだ日差しが暑いくらいで、歩いていても爽快でした。

 

ルイ・ヴィトン
ルイ・ヴィトン本店はシャンゼリゼでもひと際目立っていました。ホー、ここがそうか。ここがルイ・ヴィトンの総本山かと思ってしまいました。


ルイ・ヴトン本店前で。店の前まで行くとこれまたビックリ。行列ができていて入場制限してるじゃないか!ボクはそれをみてもう帰りたくなったが、ボヤボヤしてると職員たちはいつの間にか列にならんでいた。仕方ないのでボクも列に加わる。それにしても改めてみると東洋人がなんと多いことでしょう。今更ながらルイ・ヴィトン様には驚きです。やはり世界のルイ・ヴィトンでした。ハハーッ。おそれいりました。

 
 

ルイ・ヴィトン店内。店内にも当然東洋人がいっぱいで日本語・中国語・韓国語が乱れ飛んでいました。年齢は大体20~30代がほとんどで、それに混じって妙齢のパリのマダムが少しいただけです。アジアパワー恐るべしです。おそらくお客の大半は単なる冷やかしでなくて、ちゃんと商品の目星をつけて来た人ばかりだったと思います。黙って撮っていたのでこのあと店員さんに「写真撮っちゃダメよ!」としかられましたので、店内の写真はこの1枚だけにします。ここではボクも留守番の職員から頼まれていた財布を買おうとしたけど、とにかく人が多くて店員さんにたどり着くだけで大変でした。またラッキーなことにちょうど旅行の時はユーロ安でなんと1ユーロ106円の時で、日本に帰ってあとで調べたら日本で買うより3割以上も安くてわざわざ行った甲斐があったというもんです。それにしてもここで働く店員さんたちにとっては東洋から団体でドカドカと押しかけてきて 商品に勝手に触ったりしながら、自分の給料でもなかな買えないものを簡単に買っていく人たちを見て一体どんな思いなんだろうか?このあともショッピングは続きジョルジュサンク通りのアニエス・べー、そしてモンテーニュ通りのデイオールへと向かいました。ボクは中に入る勇気もなかったので、その間外で道行く人をぼんやり
眺めてすごしました。というわけでショッピングも無事に終わり買い物袋で両手が一杯になったので、ひったくりがこわかったので、とりあえずバスを乗り継いでホテルに無事帰りました。

 

セーヌ川クルーズ
アンジェリーナで食ったモンブランが効いて全然腹減らなかったので、この日の夕食はスーパーのモノプリで軽食を買ってセーヌ川の川岸でピクニックとしゃれこんで、パリっ子気分をあじわいました。


シテ島の一番先にあたる場所です。ここの石畳に座ってセーヌ川を走る船なんかを眺めながらのピクニックです。ここにはパリっ子たちがたくさん来ていて、とにかく何かを食べるというより集まってしきりに話をしていました。パリの人たちは道端のカフェでも見かけましたが、男も女も話好きです。それも昼間っからカフェに陣取って話をして本当にちゃんと仕事してるのだろうかと思ってしまいます。
ボクが食べてるのは野菜サラダです。後ろはシテ島にかかる橋でポンヌフ。セー川からの風が心地よかったです。これで時刻は夜7時ごろ。このあと8時からのセーヌ川クルーズに乗ったのですが、日が陰って暗くなるととたんに気温が下がって船の上はとても寒かったです。

 


セーヌ川クルーズ。Vedettes du Pont Neuf(ヴデット・デュ・ポンヌフ)。セーヌ川クルーズは大抵がエッフェル塔の近くから発着しますが、この船だけはシテ島発着です。ホテルから歩いて3分のところに船着き場がありました。料金は日本でインターネットで予約しておいたので8ユーロ。現地で買えば11ユーほどします。それにしてもこんなクルーズの予約も日本で居ながらにしてできるなんて便利な世の中になったもんだ。ヴデットというのは後で調べたら人気者という意味でした。クルーズには日本人はボクたちの他にはいなかったよう。ボクたちが座ってた席の前はアメリカのそして横にはイタリアのカップルがいてさっそくお互い自己紹介しあっていました。写真は夕暮れ迫るオルセー美術館です。パリは夕暮れ時が一番美しくなります。そう言えばセーヌ川からの眺めは世界遺産になってましたね。

 


エッフェル塔は何時見ても絵になりますが、やっぱり夕暮れのエッフェル塔が一番です。東京タワーと違ってまわりに建物があまりないので、ひと際目立ちます。船はここで引き返してシテ島に戻りました。計1時間ほどのクルーズでしたが、前にも書いたように最後のほうでは段々寒くなってきて早く帰りたくなってしまいました。パリの夜は秋でも寒さ対策を忘れないほうが。
長かった2日目も終わりです。一日中歩きまわったものだから、牧田さんは靴ずれかなんかで、足がいたくなったよう。ホテルに帰ってボクは例のごとくそのままバタンキュー。すぐに爆睡でした。

 
 

 

フランス旅行(2)

フランス旅行、まだまだ続きます。なにせ、日頃はなかなか休みが取れず患者さんに迷惑かけると知りながら、思い切って実現した旅行です。しっかりとレポートします。
 ルーブル美術館
 2日目はまずルーブル美術館へ行きました。ホテルから歩いて10分もかからないので、セーヌ川を渡ってぶらぶらと歩いて行きました。ルーブルは展示品もさることながら建物そのものが素晴らしい。それ自体が美術品です。開館時間の9時前に着いて少し並んでからいざ入館。


最初に行ったのがミロのヴィーナス。去年行った時は途中迷ってしまいなかなかここまで辿りつけなかったのですが、今年は迷わず行けました。おかげで他にまだ誰もおらずほぼボクたちだけで、ヴィーナスを独占して、とても贅沢な時間を過ごせました。去年見たときは心なしか少しくすんでいたのに今年は白く輝いていました。2000年以上も前からずっと美しいままで、このあともボクたちが死んでからもこのまま永遠に美しいままでいいるのかと思うと少し妬けてきます。

 

 
サモトラケのニケ。階段を上がって行くとその先にニケ像がある。このシチュエーションがルーブルでは一番気に入っています。今年もちゃんとニケは待っていてくれました。

 


サモトラケのニケ。今回は近くでじっくりと見ました。舳先に立って風を受けて服が体にまとわりつき体の線が出てとてもエロチックです。この女神ニケさまは一体どんなお顔立ちだったのだろう。風をほほに受けて軽く目を閉じていたのか、それともカッと目を見開いて前を見据えていたのか。想像はどんどん膨らんでいきます。この女神もボクたちが死んだあとでもずっとここに立ち続けることでしょう。

 

 
ご存じモナリザです。ルーブルでは「La Joconde」と説明してあります。ジョコンド夫人です。まだ朝早くなのにもうこれだけの人だかりです。モナリザは防弾ガラスに守られて、ロープが張ってあり近くまで行けません。「あー、あれがモナリザか」という位にしか思えないのが残念。モナリザの絵そのものは本やテレビやその他で飽きるほど見てますが、それでも遠くからでもいいから本物を見たくなるのが人情です。それにしてもこのジョコンド夫人のリサさん、自分が死んだ後これだけ世界中の超有名人になろうとは夢にも思わなかったろうに。毎日たくさんの人にしげしげと見られて気恥ずかしいのかな、それとも反対にリサさん、毎日世界中からやってくる人たちを眺めて楽しんでるのかも。「よく来てくれたわね。そんなに私有名かしら?フフフ・・。」とでも思ってたりして。

 

  
ダ・ヴィンチ作「聖アンナと聖母子」 実はこれが一番見たかった絵です。去年はあまりじっくりと見れなかったので今年はもう間近でしげしげと見れました。幼子イエスと聖母マリア、そしてイエスのおばあさんの聖アンナ。聖アンナの顔がとてもいいです。やはりそれが神の子だとしても孫はかわいいもんでしょうね。それにしても男の存在がありません。所詮男はたんなる働きバチなのかも。ダ・ヴィンチはこの絵とモナリザそして洗礼者ヨハネの三点は死ぬまで手元に置いたのでこの絵もよっぽど気に入ってたのでしょう。まるでダ・ヴィンチがすぐ傍にいて、会話をした気がしました。
 このほかにもいろいろ見たのですが、なにせこの日はスケジュールがタイトでしたので、次のオペラ座に進みます。

 

 オペラ座

 
オペラ・ガルニエ。地下鉄の出口を出て地上に上がると目の前にオペラ座がデーンと構えていて、このロケーションが素晴らしい。去年初めて見たときは「オオー、凄い!」とちょっとした衝撃でした。今年も真っ青な空をバックに誇らしげに建っていました。よくよく見ると屋根の部分にも金色の彫刻あったのが今年初めて気がつきました。

 

 
オペラ座内部。映画「オペラ座の怪人」にも出てくる有名なエントランス階段です。今にもマスクをした怪人が現れそうです。とにかく内装が凝りに凝っていて絢爛豪華とはこのためにある言葉のようでした。

 

 
天井にまでまったくスキも見せず手抜きもせず凝った造りがしてあり、もう参りました。あっぱれです。だけど、これでもかこれでもかと豪華な内装を見せつけられるとだんだん麻痺してきて、少し食傷ぎみになってくるのが面白いです。
これでやっと午前の部は終わりです。このあと昼飯食って、デザートやショッピングそして締めはセーヌ川クルーズまで続きます。
        ・・・to be cotinued

フランス旅行(1)

 ご無沙汰してブログさぼっていました。9月18日から5日間ほど職員4名を連れてフランス・パリに旅行に行って来ました。この間2日休診になり何人かの患者さんにはご迷惑をおかけしました。
 今回の旅行はボクは2回目、職員のうち3名は初パリでした。今回はかなり気合を入れて準備しています。まず1年間かけてフランス語をみっちり勉強しましたし、次にパリの地図も隅から隅まで調べ上げて、特に地下鉄とバス路線なんかは東京よりわかるようになりました。さらに職員と一緒のため主な観光地のほかにシャンゼリゼなどのブランド店、気軽に入れるレストラン、おいしいスイーツの店なども半年かけて丹念に調べ上げ準備万端で勇んで出かけました。
 フランス語はしゃべれるにこしたことはありませんが、基本の5つの言葉さえ言えたらなんとかなるなと、帰ってから思いました。その5つの言葉です。 「ボンジュール」「メルシー」「オヴァー」「エクスキュゼ・モア」「シルブプレ」の5つです。前の3つはよくわかると思いますが、「エクスキュゼ・モア」は英語の「エクスキューズ・ミー」で相手に話しかけるときに必要です。最後の「シルブプレ」は英語の「プリーズ」に相当して、何かが欲しい時には、欲しい物の後にこの「シルブプレ」を付けると大体通用しました。他のフレーズとしてできれば「How much?」の意味の「セ・コンビアン?」と「What is this?」の「ケスクセ?」があれば少なくともパリの中心では十分に事足ります。

    

成田空港にて  

   出発前の成田空港です。まだまだ、余裕たっぷり。これから12時間のフライトはさすがに50過ぎのおっさんにはこたえましたが、職員は思ってたほどじゃなかったと言ってたのでやっぱり若いもんはいいなあ。     

 ホテル Citadines Pris Saint-Germain-des-Pres(シタディーヌ・パリ・サンジェルマン・デ・プレ)

ホテルです。サンジェルマンのセーヌ川沿いにあり、ルーブルやオルセーそれにノートルダム大聖堂には歩いて行ける絶好のローケーションでした。ここに5名で3泊して計21万でしたから、1人1泊14000円くらいなるからちょっと高かったかな。パリのホテルの相場はようわかりません。アパルトマン形式のホテルだったので部屋には調理器具やら電子レンジやらスプーン、ナイフ、小皿などが揃っていて簡単な調理ができるようになっていましたが、全く使いませんでした。しばらく滞在してホテルご飯もする人には最適ですが、今回は別に普通のホテルでもよかったかも。ホテルのフロントは英語はOKだけど、日本語はまったく駄目で、チェックインで苦労しました。英語もちゃんと勉強しとけばよかった。ホテルの正式な名前は「シタディーヌ・パリ・サンジェルマン・デ・プレ」です。   

    

 AU CHAI DE L’ABBAYE(オ・シェ・ド・ラベイ)

夜7時ごろホテルについてさっそく晩飯食べにサンジェルマンに出かけました。日曜日なのであまりやってなかったのですが、前もってチェックしておいた「オ・シェ・ド・ラベイ」というレストランに入りました。レストランといってもカジュアルなビストロという雰囲気の店で、旅行者がふらりと入っても全然違和感がない店でした。ホテルから歩いて3分ほど。セーヌ通りの一角にあります。 ABBAYEは「大修道院」の意味 。 

  

  

  
ここでは、シューファルシーというでっかいロールキャベツが有名だそうで、さっそくそれを注文。
 やっぱりデカかった。これと他に鴨のコンフィとチーズを頼んでみんなでシェアして食べる。シューファルシーは噂にたがわず旨かったです。おすすめです。料金は11ユーロ。他に頼んだ鴨のコンフィはまあこんなもんかなと思うくらいで、やはりこの店のおすすめは「シューファルシー」です。ちなみに「シュー」は「キャベツ」のことで、中にはひき肉がたっぷり詰まってました。本当にロールキャベツです。   

 凱旋門  この後、地下鉄で凱旋門まで行く。夜のライトアップされた凱旋門はやっぱり立派でした。高さが50mはあるのに離れた所から見るとそれほど大きく感じないのが不思議です。凱旋門の屋上までは内部にある長い長いラセン階段を上がっていきます。長旅で疲れていて、上まで上がるのにこたえました.    

  
凱旋門の屋上に上がるとその日はちょうど満月でエッフェル塔とのツーショットが撮れました。去年も凱旋門に行きましたが昼間のパリしか見なかったので、今年は夜景を満喫。夜のパリは美しい。   

    

   
ダイヤモンドフラッシュ。毎定時になるとライトアップされているエッフェル塔が5分間だけダイヤモンドのように煌めきます。この日も9時ちょっと前に凱旋門に上がれましたので、運よく見れました。その素晴らしさはやはり実物を見ないとピンと来ないかもしれません。職員は感激してたようでした。   

夜のルーブル 凱旋門からの帰りは地下鉄にまた乗って、ルーブルで降りて中庭へ。夜のルーブルは幻想的でガラスのピラミッドは昼よりはるかによかったです。人もアベックが少しいるだけで、ボクたちだけで夜のルーブルを堪能できました。    

芸術橋    

セーヌ川に架かる芸術橋を渡ってセーヌ左岸へ。
 ここは歩行者専用の橋で、夜になるとパリッ子たちが集まってきてここでピクニックをやると聞いていたので、本当かな思ってましたが、やっぱり本当でした。もう夜10時頃になるのに橋の上には人で一杯でした。アベックあり、仲間で酒盛りする人あり、ただのんびりと座ってだべっている人ありで、ちょうど日本の花見の雰囲気と似ていました。去年泊ったモンマルトルあたりは夜になると物騒になって出歩くのがちょっとこわかったのですが、さすがセーヌ川あたりは治安がとってもよかったです。
 ホテルには10時半ごろに着く。日本は朝の5時ごろ。ボクなんかもう起きてる時間です。だからすぐにベッドに入ってバタンキューでしした。
 ところが年取ると体内時計を調節できないらしく、夜中の2時頃には目が覚めてしまい、仕方ないので日記書いたり、風呂入ったり、まだ夜明け前のサンジェルマンを散歩したりして朝が来るのを待ちました。
 とりあえずパリ1日目が終わりです。7時間の時差があるからこの日は1日が31時間も使え、なんか得したような気がしました。昔、「パリに行きたし、されどパリは遠し」と言った文人がいましたが、パリはいざ来てみると割と近いというのが実感です。それと日本人特に女性に人気があるらしく、パリに関する情報はあふれるほどあり、今回も前もってしっかり勉強させてもらいました。
 2日目以降はまた報告します。とりあえず1日目はこれまで。
  

    

キリシタンの白い花

前回書きました記事の続編です。ホスピタウン便り「辻田家の謎」のエッセイを出して7年ほどたったころ三重県にお住まいのある方からメールが届いて内容がとても興味あるから小説の題材に使わせてくれないかという話がありました。ボク自身もう忘れていたので、びっくりするやらうれしいやらで二つ返事でOKしました。そして出来上がった短編小説のタイトルが「キリシタンの白い花」というものでした。その時のことをホスピタウン便りに書いています。
                                                    (ホスピタウン便り vol.54  平成21年1月号)
                                 キリシタンの白い花
もう7年ほど前になりますが、ホスピタウン便りに「辻田家の謎」というタイトルでボク自身のルーツについて書いたことがあります。「ボクの父の生家は佐賀県の嬉野町という山合いの田舎町のさらにそれから山奥にある部落で、そこはその昔隠れキリシタンの里だった。辻田という姓の由来は自分たち一族がかつてキリシタンだったということを後世にまでに残すために十字架を表す「十」という字を入れた。」というそんな内容でした。それをホームページに掲載してそのままにしていたのですが、最近になって三重県に住む人の目に留まり、とても興味ある内容だから小説の題材にさせてくれとのメールが来ました。喜んでOKしたところほどなくして「キリシタンの白い花」というタイトルの短編小説が届きました。その小説のあらすじはこうです。主人公はある教会の牧師で信者に辻田悠子という人がいて、彼女は末期がんを病んでいてその人が主人公のところへやってきて来て、自分の過去のことを話し始めることから物語は展開して行きます。そしてその人は白い寒ランを大切に育てていて、それは隠れキリシタンだった自分の遠い先祖たちがずっと育てきたもので、佐賀県の嬉野町から、四国の宇和島を経て三重の地にまで流れ着いてその間も絶やさずに大切に守り育ててきたものだから、自分が死んでもどうかこの花を大切に育ててほしい。というような内容でした。その小説を読むとまるで本当にボクの先祖の人たちが、迫害を受けながらも決して屈することなく歩んできたかの様な気になってしまいました。そういえば父の生家がある嬉野町の山奥には泉があってその名前は「大刀洗いの泉」と言われています。キリシタンを処刑した後にそこで刀を洗ったとの言い伝えです。やはり、ボクの先祖の人たちは苦難の歴史を歩んだに違いありません。
 また母方のルーツをたどると嘘かホントか、百済から渡って来た渡来人の女性にたどり着きます。日本人には多かれ少なかれそのルーツには大陸から渡って来た人の血が流れているのは考えてみれば当たり前なことですが、その証拠のようなものを目の前に見せられると改めて自分のルーツについて考えさせられます。韓国語を勉強していていつも思うのですが、韓国語のイントネーションは九州弁によく似ています。だから、韓国後を話すときにはあまり抵抗がありませんし、韓国に行ってもなぜだか外国だという気がしません。不思議だなと思っていました。そもそもボクがなぜ韓国語に興味をもって勉強を始めたのかも実はよくわかりません。ボクの体に流れている朝鮮半島からやってきた遠い先祖の血がそうさせたのかもしれません。
ボクが今こうして生きているのもたくさんの先祖の方のおかげだと改めて思いますし、それよりも一体生きるって何なのかを考えさせられます。
 今年は久しく行ってない嬉野町にある両親の墓参りをするつもりです。普段は忙しさにかまけてあまり考える余裕もありませんが、皆さんもたまには立ち止まって、自分自身のルーツのことを振り返って見てみるのもまた新しい自分に出会えるのでないでしょうか?

年取ってくるとなぜか自分のルーツのことが気にかかるようになって来るんですね。

辻田家の謎

改めて自己紹介します。辻田哲朗です。電話帳で見る限り米子市には「辻田」はボクのとこだけです。生まれは長崎県佐世保市で、高校までそこで過ごしました。辻田姓は佐世保でもあまりありません。父は佐賀県嬉野町、母は鹿児島県枕崎市の出身でした。その辻田のルーツについてホスピタウン便りvol.29 (平成13年4月号)に書いています。
                                 辻田家の謎

「辻田」という姓は米子では勿論、鳥取県の中でもあまり見かけません。ボクは長崎県佐世保市の生まれです。そしてそこでも辻田姓はほとんどありませんでした。もう亡くなったのですが父は佐賀県の嬉野町というところの出身でした。そこは山あいの温泉町で丁度三朝温泉に似ています。そしてその町からさらに山奥に入った車一台がやっと通れる位の狭い道を辿って行った小さな部落が父の生家でした。父とそして母の墓もその部落にあり、墓参りに行くのにとても苦労します。そしてまたその部落の人達はほとんど辻田姓です。小さい頃からなんでこんな人里離れた所にわざわざ住んでいたのだろうと不思議に思っていました。父はなぜかこの部落のことはあまり話してくれませんでしたが、最近になっておじにあたる人がその部落のいわれについて話してくれました。それは今をさかのぼること400年ほど前に長崎あたりにいた隠れキリシタンの信者たちが迫害から逃れて来て山奥のこの地まで辿り着きいつしか土着して、そして代々人目を避けてひっそりと暮して来た人達の末裔がその部落の住人だったのだと。そして明治の世になり苗字が許されるようになった時に、自分たちがかつてキリシタンだったということを後々まで伝えたいために、苗字を「+」に「 」の「辻田」にしたのだと。辻田という苗字の中にこんな意味が込められていたのかと思うと驚きです。おそらく先祖の人達はキリシタンとして迫害を受け、また部落で暮してもおそらく周辺の人達から差別を受けたりと苦難の道を歩んで来たことでしょう。それを思い巡らすと自分の先祖の人達にいとおしさと懐かしさがこみあげて来ました。
そのせいかどうかわかりませんが、ボク自身キリスト教にはとても興味があり学生時代には教会に足を運んだこともあり、聖書も所々ですが読んでもみました。キリスト教の教えは一言で表現すれば「愛」です。これは聖書の後半にパウロという伝道師が残したいくつかの手紙に切々と書かれています。その中でもコリント人への第一の手紙13章でパウロはその愛について熱っぽく語っています。もし聖書を手にする機会があれば是非読んでみて下さい。聖書の中でも一番気に入っているところです。
毎日何回も言ったり書いたりしている「辻田」のルーツを考えると、今自分がこうして生きているのも先祖の人達がいてくれたからこそとあたりまえのことですが、ともすれば日頃は忘れてしまっていることを思い出させてくれます。
御先祖の皆さん、ボクはあなた方のおかげで元気でガンバッテますヨ!

ずーっと野球少年



毎日暑いですね。患者さんから言われるとそうですねえ。暑いですねえと。相槌を打っていますが、実は夏はあまり苦にはなりません。暑いのは好きなほうです。昔学生時代の話ですが、ずっと野球をやっていました。その頃は信じられんことに「水は練習中は飲むな」と厳しく言われていました。それでも不思議にも誰も熱中症にならなかったのが可笑しいです。

このたび、新しくホームページを更新しました。とりあえず何を書こうか迷ったのですが、今まで「ホスピタウン便り」というところにエッセイを書きためていましたから、まずはその紹介からさせていただきます。
その1回目は平成9年に書いたもので野球がテーマです。タイトルは「ずーっと野球少年」です。もう10年以上になるんですね。これはロータリークラブの関係で甲子園球場で野球をするチャンスが訪れて皆で勇んで甲子園まで行った時のことをエッセイにしました。ボクは後列左から2人目です。背番号は3でした。

野球少年でした。遊ぶことといったら野球をするかサカナ釣りでした。サッカーなんてやったこともありませんでした。2人しかいなければキャッチボール、3人いれば交代でバッターに、5人いれば5人の、10人いれば10人の野球という遊びをやっていました。でも、少年野球チームに人って野球をやることはありませんでした。大体そんなものは昔はありませんでした。だから野球をしてる時は子供だけの世界でした。ただボールを投げて、それを打ってというだけでした。こうるさい大人なんか存在しなかったのです。今の少年野球の子供を見ていると、とてもかわいそうな気がします。野球は単なる遊びです。 子供の遊びに大人がとやかく口出しをすべきでないように思います。
 そして中学に入り野球部に人りました。中学時代も監督というか顧問の先生は一応いましたが、ほとんどグランドに姿をみせませんでした。だから練習も自分たちだけでやっていました。指導者がいないから当然強くなるわけがなかったのですが、それなりに自分たちで練習メニューを考えてやっていましたし、試合前になると自主的に日曜日も集まって練習したものでした。
 高校に進んでも、迷わず野球部に入りました。そして、ここで初めて監督という存在に出会い、初めて組織だった練習をすることを知りました。進学校だったのですが野球部の練習はとても厳しく、ついて行けなくなり半年間で野球を断念してしまいました。その時に野球を途中でリタイアしたという負い目は今も消えません。そして、その頃は、ほんのわずかな確率でしたが、当然、甲子園という目標があったのです。
 その後、大学に入ってもやっぱり野球部に入って、野球を続けました。卒業後も、ゴルフにうつつをぬかすこともありましたが、野球は細々ではあるけど、今まで続けてきています。
 そして、去年、思いもかけずあのかなわぬ夢だった甲子園で野球をするチャンスに巡りあうことができたのです。ロータリークラブの野球の全国大会が甲子園で行われ、それに出場することになったのです。
 試合当日は、甲子園のベンチに坐ったり、スパイクで土の感触を感じたり、外野の芝生に寝そべったり……。その甲子園で辻田少年は一番ショートで出場したのです。試合は逆転サヨナラ負けでしたが、そんなことはどうでもよかったのです。甲子園の土を踏んだ、ただそれだけで十分でした。
 映画「フィールド・オブ・ドリームス」のラストシーンでケビン・コスナーが亡くなった若かりし頃の父とキャッチボールをする場面がありましたが、ボクも小さい頃に今はもう亡くなった父とキャッチボールをした記憶が思いだされました。これが野球の原点です。その後もずっと野球が好きでした。今も、3つの野球チームに籍をおいてます。野球をしている時は、昔の少年の頃に戻れます。
 これから先もずーつと野球少年です。

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