ずーっと野球少年

ずーっと野球少年



毎日暑いですね。患者さんから言われるとそうですねえ。暑いですねえと。相槌を打っていますが、実は夏はあまり苦にはなりません。暑いのは好きなほうです。昔学生時代の話ですが、ずっと野球をやっていました。その頃は信じられんことに「水は練習中は飲むな」と厳しく言われていました。それでも不思議にも誰も熱中症にならなかったのが可笑しいです。

このたび、新しくホームページを更新しました。とりあえず何を書こうか迷ったのですが、今まで「ホスピタウン便り」というところにエッセイを書きためていましたから、まずはその紹介からさせていただきます。
その1回目は平成9年に書いたもので野球がテーマです。タイトルは「ずーっと野球少年」です。もう10年以上になるんですね。これはロータリークラブの関係で甲子園球場で野球をするチャンスが訪れて皆で勇んで甲子園まで行った時のことをエッセイにしました。ボクは後列左から2人目です。背番号は3でした。

野球少年でした。遊ぶことといったら野球をするかサカナ釣りでした。サッカーなんてやったこともありませんでした。2人しかいなければキャッチボール、3人いれば交代でバッターに、5人いれば5人の、10人いれば10人の野球という遊びをやっていました。でも、少年野球チームに人って野球をやることはありませんでした。大体そんなものは昔はありませんでした。だから野球をしてる時は子供だけの世界でした。ただボールを投げて、それを打ってというだけでした。こうるさい大人なんか存在しなかったのです。今の少年野球の子供を見ていると、とてもかわいそうな気がします。野球は単なる遊びです。 子供の遊びに大人がとやかく口出しをすべきでないように思います。
 そして中学に入り野球部に人りました。中学時代も監督というか顧問の先生は一応いましたが、ほとんどグランドに姿をみせませんでした。だから練習も自分たちだけでやっていました。指導者がいないから当然強くなるわけがなかったのですが、それなりに自分たちで練習メニューを考えてやっていましたし、試合前になると自主的に日曜日も集まって練習したものでした。
 高校に進んでも、迷わず野球部に入りました。そして、ここで初めて監督という存在に出会い、初めて組織だった練習をすることを知りました。進学校だったのですが野球部の練習はとても厳しく、ついて行けなくなり半年間で野球を断念してしまいました。その時に野球を途中でリタイアしたという負い目は今も消えません。そして、その頃は、ほんのわずかな確率でしたが、当然、甲子園という目標があったのです。
 その後、大学に入ってもやっぱり野球部に入って、野球を続けました。卒業後も、ゴルフにうつつをぬかすこともありましたが、野球は細々ではあるけど、今まで続けてきています。
 そして、去年、思いもかけずあのかなわぬ夢だった甲子園で野球をするチャンスに巡りあうことができたのです。ロータリークラブの野球の全国大会が甲子園で行われ、それに出場することになったのです。
 試合当日は、甲子園のベンチに坐ったり、スパイクで土の感触を感じたり、外野の芝生に寝そべったり……。その甲子園で辻田少年は一番ショートで出場したのです。試合は逆転サヨナラ負けでしたが、そんなことはどうでもよかったのです。甲子園の土を踏んだ、ただそれだけで十分でした。
 映画「フィールド・オブ・ドリームス」のラストシーンでケビン・コスナーが亡くなった若かりし頃の父とキャッチボールをする場面がありましたが、ボクも小さい頃に今はもう亡くなった父とキャッチボールをした記憶が思いだされました。これが野球の原点です。その後もずっと野球が好きでした。今も、3つの野球チームに籍をおいてます。野球をしている時は、昔の少年の頃に戻れます。
 これから先もずーつと野球少年です。

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